公開: 2024年1月24日
更新: 2024年1月24日
縄文人にイレズミと抜歯の習慣があったことは、土偶の顔に刻まれた文様や、発掘された成人の縄文人の頭蓋骨から判明しています。刺青(イレズミ)の習慣は、明治時代になるまで、普通の日本人には珍しくないものでした。特に、漁業に従事していた漁師には、普通のことでした。これは、海で漁師が遭難したとき、死体が「どの村の誰のものなのか」を識別するために必要だったからとも言われています。九州の島々に住む漁師たちの間では、最近まで、イレズミの風習があったことが知られています。
抜歯の習慣は、子供が成長して、一定の年齢に達すると、歯を抜く「ならわし」を指すもので、南太平洋の島々に住む人々の間では、普通に行われていた習慣です。この抜歯の習慣も、100年くらい前までは、九州の一部の島々には残っていたと記録されています。このような習慣が、比較的最近まで、九州地方に残っていたことと、その人々の遺伝子から、縄文人との類似性が指摘されています。また、アイヌの人々の間でも、イレズミの風習が残っていたことから、縄文人とアイヌの人々との関係が議論されています。
イレズミの習慣は、特に古墳時代を過ぎると、大和を中心とした地域から消えてゆきました。これは、数多くの渡来人が大陸から渡ってきたことが原因であると考えられています。イレズミは、渡来人の目から見たとき、「野蛮な習慣」に見えたため、少しずつ消えていったのではないかと、考えられています。確かに、明治以降、イレズミの習慣が急速に消えた背景には、それが、「西洋人から見たとき、日本文化の後進性を表す」と考えられたためです。